痛みや機能障害に発展する可能性を予測するサイン
- 遊んでいたのに急に遊びを止めてしまう
- 脱臼した際の疼痛反応や恐怖反応が強い
- 一日に頻繁に脱臼し足を挙げてしまう
- レントゲン検査での骨の変形程度
- 触診による4段階のグレーディングや脱臼の感覚
痛みや機能障害が既に生じているサイン
- 左右の後肢(もも)の太さが異なる(重要)
- あまり遊ばなくなる、散歩に行きたがらない
- 散歩中に急に立ち止まって歩きたがらない
- 片方の後肢だけ震えている
- レントゲン検査での関節内の炎症初見
- 触診時の疼痛反応
当院でも上記のサインの評価を行いながら、性格や年齢、好きな遊び、飼い主さんの考え方などを加味し、コンセンサスと照らし合わせながら手術適応の可否を決定しているのですが、それでも、術前の『予測』と術中の『実際』に差を感じることが少なからずあります。やはり『予測』で最適な手術適応基準を作るには限界があるように思います。
予測での判断が難しい例として、当院での実際の4例をご紹介させていただきます。初めの1症例は、コンセンサスと比較するとやや早期の手術を行なった例で、次の3症例が、それぞれバラバラな病期に来院されコンセンサスに従って手術を行った例の術中所見を比較したものです。
初めの1例(症例A)
活発で遊び好きの1歳の男の子の膝の骨の写真です。成長とともに、特に痛がる様子はないものの遊んでいる最中に脱臼する回数が増え、遊んでいたかと思うと時々膝を見つめるようになったと来院されました。触診の感触、性格や年齢、好きな激しい遊びを続けさせたいという飼い主さんの想いから、早期の手術を決めた例ですが、注目すべき点は、早期ゆえに膝関節の骨のダメージが全くない点です。黄色い丸で囲まれた溝は、膝蓋骨が本来関節する大腿骨の関節面の溝なのですが、スケートリンクよりも摩擦係数が少ないツルツルとした軟骨で覆われていて、この上を膝蓋骨が滑るように関節する限りは、膝をどんなに動かしても骨へのダメージは起こりません。
膝蓋骨が脱臼するようになると、このツルツルとした溝から膝蓋骨が外れてしまい、溝周囲の骨とゴツゴツと擦れ合うように接触してしまうことによって生じる摩擦が骨へのダメージとなり、骨の潰瘍や炎症、それに引き続き、痛みの原因となる滑膜炎などの合併症が発生してしまいます。
次の3例(左:症例B、中:症例C、右:症例D)
それぞれ発症から異なるタイミングで来院された症例です。コンセンサスを含めて各種慎重な検査と協議の結果、手術に至った3例の術中写真です。黄色い丸で囲まれた領域で骨のダメージが観察されます。写真の左→中→右に行くに従ってダメージが大きくなっていますが、一般的に予測に使用されるサインからはダメージの程度を正確に『予測』することが難しい事が実感できる例となっていると思います。
- 症例B:痛がる様子はないが、時々散歩中に膝の臭いを嗅ぐようになった症例
- 症例C:時々足を気にしたり、遊んでいる最中に遊びをやめてしまうようになった症例
- 症例D:昔は痛がってたけど最近は痛がらない。しかし、少しガニ股で歩くようになった症例
軽い臨床症状であっても骨のダメージが既に始まっている事(症例B)、痛がる様子がある場合には骨のダメージが強いことに加えて炎症反応も認められている事(症例C)、慢性例では炎症反応は弱まっているものの骨の変化が強く歩様様式の変化が起こっている事などがわかります(症例D)。
現在のコンセンサスの限界
痛みの表現方法や、運動の仕方によって症状の出し方が多彩で、来院時期もまちまちとなるため、ある程度骨のダメージが進行してからでないと診断できていない現状があります。
症例Bの術前評価のレントゲン検査では関節内の炎症所見は認められず、触診によるグレード分類も4段階中の1と軽度であり、これらの所見からは手術適応の決定はできません。また、臨床症状も軽く(痛がる様子はないが、時々散歩中に膝の臭いを嗅ぐようになった)、この症状からも痛みや機能障害に発展する可能性を予測することは難しく、現在のコンセンサスでは手術適応する獣医師は少ないと思われます(当院で手術適応となった理由は後述)。症例C、症例Dでは触診やレントゲン検査にて異常が確認されたためコンセンサスに従って手術適応となっています。3例の比較においては、現在のコンセンサスで判断する手術適応の時期では既に相応の痛みや骨のダメージが生じてしまっているコ達が少なからずいる可能性が見えてきます。
獣医療では、患者本人から違和感や軽度の痛みなどの初期症状を正確に聴取する事が難しい場合が多く、また、痛みに対して我慢強いコ達もたくさんいます。そのため、ある程度ダメージが進行して症状が出てきた後に、飼い主や獣医師によって発見されるという特徴があります。痛みの有無や予測を主軸にしている現在のコンセンサスでは、膝の中で起こっている問題の初期を拾うことが難しい可能性が指摘されます。不必要な手術を避けつつも、可能な限り骨のダメージの少ないうちに問題を早期発見し、適切な治療に繋げる事ができる手術適応基準の追求が、とても重要な課題となっています。